« ナポレオン・ボナパルト | メイン | カルケドン信条 »

畿内では淀川水系

畿内では淀川水系の治水と同時に、大和川付け替えの跡地や大阪湾岸の河口の浅瀬で次々と商人による新田開発が行われた。大阪平野の多くの土地はこの時期に水辺から陸地になった場所が多く、こうした新田の名には開発した商人の名がつけられ、現在でも土地の地名に商人の名に由来するものが多く残っている。(例:鴻池家が開発した鴻池新田など)これら新田には「会所」(かいしょ/かいじょ)と呼ばれる管理事務所があり、小作人からの年貢米徴収・貯蔵や、新田の堤防・水路などの維持管理業務、役人への応対などを行っていた。

享保の改革を受けた商人たちによって、越後国の紫雲寺潟(しうんじがた、新田開発の中でも日本最大級のもの)や、濃尾平野の木曽川河口部でも、大規模な町人請負新田の開発が行われた。木曽川下流域は多くの水路が引かれ扇状地が水田になったほか、河口の干潟が次々干拓されて水田に変えられていった。もっとも、木曽川はすさまじい水害で知られる川だったため、住民は輪中を築いて対抗することになる。
ぜん息・美容整形関連女性の健康検索エンジン
飲料水・教材関連ショッピングカートサーチ
ベヘルツト学習対策総合
ベルハウス トラベル情報
審美歯科・豊胸関連美容全国通信検索エンジン
投資・SEM促進関連経済ガイド
探偵・旅行関連くらしのお手伝い情報
薬学・アレルギー関連ようこそ健康総合
墓地・ペット関連通販百貨サーチ
アリババ教育対策サーチ


関東平野では17世紀以降に利根川など大河の流れが、水害防止や水上輸送の便のため大きく付け替えられ(利根川東遷事業)、これに合わせて農民や幕府、藩の手で旧河道や沼地、丘陵地などの新田開発が行われた。代表的なものは、代官や勘定所など幕府官僚による「飯沼」や「見沼」、「椿海」といった巨大な湖沼の干拓・新田化や、武蔵野の土豪による丘陵地での新田開発。小宮山杢進による、下総小金牧周辺の原野新田の開発などがある。それまで雑木林や湿地帯などの荒地だった関東平野の多くは、江戸時代以降急速に農地化した。また丘陵地の新田開発のために玉川上水ほかいくつもの用水路が建設された。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.sjwpgp.biz/blog/mt-tb.cgi/586

About

2009年05月01日 10:05に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「ナポレオン・ボナパルト」です。

次の投稿は「カルケドン信条」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35